唐突ですが、私は才能、個性、努力というジャンルの能力論には一過言あります。
努力は必ず報われる、とか天才は努力によって作られるとか、そういう話のことです。
私は、基本的には「人には努力では超えられない個体差がある」という感覚と「その人に与えられた才能(脳・肉体)を生かしてこそ人生だ」という感覚があります。
今日はその話をします。
1.人には超えられない壁は存在するし、超える必要はない
そもそも、才能論がもてはやされるのは二つの理由があると思います。
1つめの理由
1つは「みんなに承認される何かになりたいという自己実現欲求が人間に備わっているから」だと思います。
例えば絵がちょっとだけうまい自分が鳥山明さんに憧れたように、運動神経が並でもイチロー選手に憧れたように。人よりも少しだけ上手にできることや、あるいは賞賛されている人を見たときに自分も「もっと賞賛を集めたい」「同様にすごくなりたい」と考えるのは人間として自然ななことだと思います。
2つめの理由
2つめの理由は「人と比べて上にいたいという自己実現欲求」が備わっているからだと思います。
これも承認欲求の類なので、つくづく人間は承認という報酬体系が強い人間だなと思いますが(その限りではない人もいますが)、これも別に悪いことだと思っているわけではありません。
上にいたいという思いや、他者比較の欲求自体が人間に影響しているのは間違いありません。
この二つの欲求が、才能を持つ人を分析して自分に取り入れることで自分もよりよくなるという考えや、自分の能力・才能を信じて努力することで報われる(と信じたい)という人たちにヒットして、世間でも語られる文脈の一つになっていると思います。
かくいう私も一過言あるのは承認欲求や憧れに悩まされてきた人間だからこそ。その上で、強く影響を受けた(科学に裏打ちされていたり、経験則に裏打ちされていたりしそうな)話を二つ紹介します。
個性というのは肉体差と脳の差だという話 by 養老孟司さん
この話には報われました。
「バカの壁」で有名な東京大学名誉教授、医学博士、解剖学者の養老孟司さんは、著書の中でこのような話をしています。
人の能力には差がある。生まれたときにある肉体的な違いというのは、人に備わっている個性である。例えば足のバネや声の違い、顔の違いというのはどうしようもない個体差で、それが個性というものであると思う。(記憶を元に著者書き起こし)
この話は「個性を重視する教育」という謎の教育風潮が生まれたゆとり教育時代に対して疑問を呈した文章の一節で、個性というのはその人がその人である限り必ず生まれるものである。それを個性を生かして、などというのはくそみたいな話だという論調でした。
私はこの文章を読んだときに、それはそうだ。個性を生かすとか以前に、個性を認めてこそ人間らしく生きれる(自己を否定せずに生きれる)というものだと深く納得したものでした。
また、脳が専門の方だからこそこのような一節もありました。
脳というのは生まれもってのものはあるが、基本的には人間の脳の作りはほぼ全員同じ。違うのは脳に入った信号の伝達経路だけ。例えば、暑いと感じたときにどういう風に伝達をするかというのが違う。反射神経が高い人というのは情報を受けてから体の神経に情報を伝達するのが早いだけ。そして何より、訓練によって脳の情報伝達は訓練できるのだ(記憶を元に著者書き起こし)
この話って、とてもいい話じゃないですか?
子どものときはそれこそ肉体差、個性が残酷なほどに人生に関わりますが、大人になるとむしろ「脳」の方が人生に大きな影響を及ぼしますよね。それが「個体差はない」「訓練によって改善できる」というのはとても朗報と言いますか…
人間が変わる可能性というのを信じれるものだと思います。
と、言っても私がこれを盲信して「努力は必ず報われる」と思っているわけではありません。
自分だけが楽勝でやれることを、徹底的にやれという話 by 瀧本哲史さん
こちらは京都大学で人気の教授(東大だと思っていた)の言葉。
大熊さんのツイートを見て知ったので変な引用の仕方ですが…私もとても共感しました。
これなんだよな https://t.co/0MslMroIQY
— B.B. 大熊将八 (@showyeahok) February 19, 2020
楽勝でやれることを徹底的にやるというのは、養老孟司さんの言葉でいうと「自分の脳が変えやすい方向で頑張る」「個性に合う方向で努力をする」ということだと思います。
逆を言えば「他人に憧れて何かをしようと思ってもやるのは難しいし、脳を変える必要がある。個性は変えられない範囲が大きい。なら、自分に向いているものを圧倒的にやろう。そうすれば報われる」ということだと私は解釈しています。
もちろん、自分が向いているものが野球やサッカーなどの誰もが憧れるものだといいなあと思う人はいるかもしれませんし、そういう方向に個性や脳が伸ばしやすい方向に憧れる心理はあるかもしれません。
ですが、彼ら彼女らにとっては欠如している何かを自分の能力では満たせているかもしれない。それに本当に考えてみれば、自分自身はそれらの活動をしたいと思ってないかもしれないということに気づくと、自分自身が報われる方向に歩めるのではないでしょうか。
何が言いたい記事かはわかりません。
誰に向かって書いているかもわかりません…自分に対してだと思いますが、才能、天才、憧れなどに振り回されるのではなく、自分にとって楽勝だと思えることを淡々とやり続ける人生もいぶし銀でかっこいいんじゃないですか。
そういう風に生きたいものです。では
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