「千と千尋の神隠し」大好きです。考察しました。あらすじネタバレもあり。

ジブリ

千と千尋の神隠し、日本で歴代1位の興行収入を誇るジブリの大ヒット作が、中国でも大ヒットを記録しているようです。夏休みということもあってか、金曜ロードショーで放映されていましたね。(2019/08/16(金)の話)

僕はこの作品大好きです。が、初めて映画館で見たのはたしか小学校4年生の頃だったと思います。この時は、親が屋台でご飯を勝手に食べてぶくぶく太って豚になるシーンが怖くて震えていたことしか覚えていませんでした。

「え? そんなことしていいの? やっぱりダメじゃん!」って、トンネルに入って行くシーンと屋台で勝手にご飯食べるシーンで思った覚えがあります笑

ですが、周りの評判を聞いていると、意外と評価がわかれる作品でもあるんです。

「なにがいいの?」
「よくわからない」
「もののけ姫の方が好き」
「ハウルのが好き」

たしかに全部いいですよ。ジブリって神作品ばかりなんで。
だけど、千と千尋を知ってほしい!

ということで、千と千尋の神隠し大好きな私が作品の解釈を紹介したいと思います。

あくまでも解釈の1つなので真意とは離れるかもしれませんが、もともと宮崎駿監督自体「物語を詳細に描くのではなく、ある程度は観客に委ねる」監督なので、そういう感覚で見た方が楽しめると思います。

千と千尋の神隠しは「社会に出会う少女の成長の物語」だと思う

宮崎駿監督が参考にした一つの舞台という九份

結論から入ると、千尋が成長する物語、というシンプルな筋書きだと思います。そして、その成長は家族や学校ではなく、社会との接触によって生まれる。

物語のスタートは転勤で引っ越しをして、憂鬱な気持ちになる千尋の描写から始まります。学校というコミュニティを転々として、自己のアイデンティティを確立できずにいる千尋。親の転勤という勝手な都合で人生を振り回されることに辟易としながらも、諦めを感じつつあります。

身勝手な親なのでしょう。深いトンネルを勝手に進み、そしてトンネルの中にある街(社会)の屋台でも勝手にご飯を食べ始めてしまいます。その間、少女は常に「やめなよ」と制止するわけですが、大人っていうのは勝手なもんで、子供を無視して行動し続けます。

すると、両親は豚になり、千尋は社会の中に取り残されてしまう。そこでハク登場。少女を社会の中で暮らす手伝いをしていくわけです。

このシーンは、自分が知らない社会との接点を表現していると思います。

現実でも、知らない土地、知らない国を訪れたとき、自分だけのルールで行動をしていたら罰せられるのと同じ。しかし大人は自分の経験がある分、他の文化を軽視する帰来があります。結果、罰せられることになるのですが…逆に社会をよく知らない千尋は慎重です。

ハクに連れられ湯屋に向かう千尋。名前を失うことは「組織に入る」という表現か。

あらすじに戻ります。ハクに連れられて湯屋に向かう千尋は、最初釜じいの部屋に連れられ、その後従業員の部屋に向かいます。湯婆婆と出会い、名前を取られ「千」と名付けられる千尋はいわば「組織の中の一人」としての人格を与えられます。個性を捨てろ、組織に従えと。

大手企業の構成員の一人として生きさせられ、個人の名前を捨て、最終的には自分の名前さえ忘れさせてしまう。それは宮崎駿監督が高畑勲監督と共に従事していた東映動画時代の労働組合の活動を思わせます。組織に所属しても、組織に利用されることはいいのか? というメッセージのようです。

そして湯屋という一つの社会、学校や家族とは異なる社会の中で過ごしていく千は、日々辛い仕事や人間関係を乗り越えて、自分なりに挑戦を続けていきます。

慣れない社会、親と離れる日々。元の世界に戻れるかどうかもわからない不安を感じているだろうに、千は湯屋に来る汚れ神をもてなしてお礼をもらうなど、成果も感じています。

ただ、ハクに言われた「自分の名前を忘れるな」という言葉と共に、その日その日を乗り越えていくのみの日々が続きます。

自己肯定感の欠損、承認欲求に流される人間としてのカオナシ

そしてある日、カオナシが現れます。鈴木敏夫プロデューサーによれば、このカオナシは千と並ぶ主人公になってしまったと言います。(私は少女の成長の物語だと思っていますが)

最初は外で一人たたずむ描写から始まるカオナシ。おそらく孤独を感じ、人に認められる日々を送っていない人格を表現しているのだと思います。
誰からも認められることのない人生。自分の「顔」という、アイデンティティを持たないカオナシは、人に認められたい一心で動いています。
砂金を出すことで認められると知ったカオナシは、自分の手で砂金を作り出す方法を身につけ、それを湯屋に従業員に振り撒きます。

すると従業員はそれまで見向きもしなかったカオナシを大変もてなすようになる。味をしめたカオナシは千にも砂金を渡そうとしますが、千は見向きもしません。なんで? 僕を認めてくれないの? と言わんばかりに大暴れするカオナシは、最終的に湯婆婆の姉銭婆に抑え付けられるのですが、ネズミに収められたカオナシは銭婆と共に暮らすこと自体に価値を感じ始め、アイデンティティを確立し、救われることになります。(その後はカオナシが嫌な奴として描かれることはないですよね。宮崎駿監督はカオナシとして、いわば自分に自信が持てず承認欲求を求めて生きる人を非難するのではなく、最終的には大切な人と暮らすことや責任を持って生きることで救われるということを描きたかったのだと思います)

千に話を戻すと、千は弱気で逃げ腰だけど、自分の大切な軸はブラさない強い少女です。最初はおどおどしていた少女も、湯屋という社会生活でたくましくなったのか、毅然と振る舞う姿が印象的です。

ここでは、お金や承認で自分の意志を歪めることは簡単だが、それ以上に大切なものがあるということを伝えようとする宮崎駿監督の意志を感じます。

名前を取り戻す千とハク。それは信念の現れ

そして物語はハクと千の物語に。千が湯屋の寝床で過ごしていると、傷だらけの龍が紙の鳥に襲われているところに遭遇します。傷だらけの龍に対して千は汚れ神だった名のある河の神にもらった団子を食べさせます。

その姿こそ「契約」に縛られたハクの真の姿。契約を表現するから紙の鳥なんでしょうか。人としての信念は強いが、自分が生きるために湯婆婆と契約をしたハクは、やがて自分の名前を忘れてしまいます。

しかし、そこで現れた千、自分が救った千と過ごすうちに「ニギハヤミコハクヌシ」という名前を思い出します。

最後は、千が湯婆婆に認められ、自分の親はどの豚か、と言われるも一発で当てて、千尋という名前を取り戻して湯屋の社会を卒業することになります。ここも当初の千尋であれば、何もわからない、自分の判断軸がない、責任も持てないという一人の少女だったのに、大人である両親を救う側に立っています。成長ですね。

トンネルと抜けると何事もなかったかのように戻る生活。しかし、千尋の中には確かな成長が残っていたのでした。

*鈴木敏夫プロデューサー監修、文春編集の解説本もどうぞ*


全作品の細かい解説つき。ざっくり読みでも作品を10倍楽しめます。

家族、学校以外の社会が人を成長させる

現実世界に置き換えるのは難しいと思います。小学生に労働機会はないですからね。

ただ、例えば学校や家族を超えたコミュニティ、海外旅行やボランティア、部活動なんかもそうでしょうか。自分の責任だけで過ごさなければいけない社会というのは、幼少からも存在します。もちろん、保護者的な大人はいるでしょうが、親や先生に庇護されている社会から離れることは大切でしょう。

宮崎駿監督はその成長機会を「湯屋(会社)」「労働」を描くことで表現しています。個人的には、これが労働以外のものではいけなかったんだろうと思います。生きるために働くこと、親の庇護を離れること。それが、少女を強く成長させるために必要な描写だったのかなあと。

長くなりましたが、これが私の千と千尋の神隠し、論考です。
細田守監督の「未来のミライ」と少し世界線の描き方が似ていると思いましたが、これは両監督に共通している「子供っていつの間にか強く、たくましくなっているもんだ。大人の知らないうちに、どういうことかなあ」という思いの現れだと思います。

もちろん、こじつけというか、主観も入っていると思いますが、作品をより楽しむための一助になれば嬉しいです。

・鈴木敏夫プロデューサー監修、文春編集の解説本もどうぞ

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