サマーウォーズ、時をかける少女、バケモノの子などの名作を手がけてきた細田守監督。
私も中学生のときにサマーウォーズを一人でみて、感動で大号泣しました。そんな方も多いだろう。
金曜ロードショーで細田守監督の「未来のミライ」が公開されていたのでみてみることに。結論は面白くなかったのだが、、解釈を妻に話したところ「面白く感じた」と言っていたので考察を書きたいと思う。
前評判はその通り
前評判を聞いていたところでは、なんとなく「親は面白く観れる」「作中の親はひどい人物だ」とか、主人公のくんちゃんの声優がひどいとか、それはそのとーり。
若干萎えつつ観たら、しばらくはんんん? という感じ。最後までんんん? と思ったものの、考察にたどり着いたら多少面白く観れた。
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お父さんお母さんの元には飼い犬と主人公のくんちゃん。そこに突然現れたのは妹のミライちゃん。それまで親の愛情を独り占めしてきたくんちゃんは「妹のミライちゃんなんて嫌い」と、妹をいじめたり、嫉妬に歪む。
妹をいじめたり、嫌っていたりしたくんちゃんはどうなるのか? という、細田守監督の親心を描いたような作品に仕上がっている。
そんなハートフル? な雰囲気の作品だが、どうも私は「親の心わかんないなー」というところと、「くんちゃん周りの描写が子供向けすぎるなー」「でも、どう観ても大人向けの表現だから、意味わかんないなー」という気持ちが強く、観るのが大変。
また、描写や心情描写は感動的で、面白いものも多い一方で物語はチープに感じてしまった。
未来のミライ考察(ネタバレもあり)
そんな「未来のミライ」考察は…。
子供の自立がテーマ、だと思う。
飼い犬、妹のミライちゃん、ひいおじいちゃん、お母さん、未来の自分自身が目の前に現れるのは、「血筋」や「家族」の象徴。妹に嫉妬していたくんちゃんが、兄である自覚を一人でにして、雛人形を父親の代わりに片付けてあげる。
父親が教えるでもなく、おじいちゃんの影響を受けているのか、自転車に乗れるようになる。
父親は言う「子供ってすごいなあ。誰に教わるわけでもなく、勝手に成長してる」この一言に、細田守監督が描きたかった思いが込められていると感じた。
子供って、親に教わることだけじゃなくて、妹への兄ごころとか、祖先の気持ちとか、そういうものを引き継いでいるのかもしれない。
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この解釈をした時、すこし作品が面白くなったと妻は話していた。
おまけ:未来のくんちゃんに会い、電車に乗るシーンの考察(ネタバレあり)
ついでに、印象に残ったシーンを考察したものを乗せて、〆にしたいと思う。
くんちゃんが未来の自分に会って、電車に乗り込むシーン。そこはターミナル駅。細田守の巧みな演出で盛り上がるシーンだが、、
駅の迷子案内所を訪れるくんちゃん。駅員に迷子と話すと「自分自身をなくしたのですね」とこわい一言。保護者は? と聞かれるもくんちゃんは母親、父親の名前もわからない。自分を証明するものはなに? 悩んだ挙句に「ひとりぼっち行き」の新幹線に強制収容させられる。
暗く、えぐみさえある描き方に恐怖。急に落としすぎ…。そこでいきなり現れた赤ちゃんのミライちゃんを守るために立ち上がると、未来のミライちゃんが現れてくんちゃんを救う。
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妹の嫉妬、両親からの愛が希薄化したことで幼いながらに自尊心を失いかけていたくんちゃんは、妹を守る…という意識で自尊心を取り戻す。アイデンティティを両親からの寵愛としていた幼い子供は、妹を守ることでアイデンティティを取り戻したのだ。
親からの愛を信じられなくなった子どもは腐るしかないのか? 親が愛を与えないとだめ? 当時未来のミライの親を批判するレビューにはそういうのが多かった気がする。だけどやっぱり、細田守が描きたかったのは「子どもってすごい」ただ、そういうことだと思う。
まとめ
この作品の面白さは、子どもがひとりでに成長する不思議を描いたところにある。それは、細田守が親になり、子どもを育てることで感じたものなのだろう。
そして、この作品のつまらなさも同時に、細田守が自分の子供に対する思いが強すぎるが故に、「描きたいもの」が増えすぎた結果、作品としての面白みが欠けたのだろう。
子どもができたらもう一度見てみよう。面白くなるかもしれない。
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